世間は「春の熱中症」という、負の季節の変わり目が表現されている中、今更ながら千代田・台東・墨田周辺の桜をば。
水道橋駅からのんびり散歩し、九段下へ。
写真キャプションの「〇〇」は推して知るべし。あのセリフのようなひどいことは言えない。
ただ人の顔にモザイク処理を施すのは面倒だった。桜の時期の九段下に居る人間なんて、撮影時だけいなくなってしまえばいいんだ・・・!
桜の枝の隙間から、奥の桜が見える景色はいと趣深く、わびさびというものの雰囲気、なんとなく感じそうな、そうでもないような。
この一枚でどこで撮影したか、というものがよくわかる。
大学生時代、キャンパスが九段下だったので大変懐かしく、同時に苦い思い出がこれでもかというほど溢れてきた。
広島県民の鏡たる私は在学当時、靖国神社の鳥居より本気で厳島神社の大鳥居の方が大きいと思っていた。
これは鏡というより都会コンプレックス。
今回撮影して改めて自覚したのは、どうも私は「遠近法」がよくわかる構図が好きなようだ。なんというか救われてなきゃあダメなんだ。大迫力でにぎやかで豊かで・・・。
灯篭より左側にある木々が一面桜であればよりきれいなのだろうが、神社境内の植樹に携わるほど権力も時間も金も地位も意識もないので、与えられたもので満足しよう。
今回はコントラストと明瞭度を下げてみた。
白やらピンクやらは「ふわぁっ」とした優しい雰囲気が合うのかな。
けれど明瞭度を上げたくっきりはっきりした絵も、なかなかどうして悪くない。
普段お花と戯れない私は、この度「植物の撮影」というものが大層むつかしいことを痛感させられた。
この写真は見た通り桜の木の幹から生えているのだが、そのせいで影になってしまっている。
露出やコントラストを上げると背景が白飛びし、背景重視しその値を下げ過ぎるとメインの花が暗くなってしまう。だからといってレフ版を使うほどガチでもないし。
影や黒レベルを良い塩梅に下げてはみたが・・・改めて見るとやはり暗い。
部分的に編集すればよいのだろうが、まぁそのうち。
この写真も同様。
撮影している最中や編集している最中は一枚の画像を見過ぎてよくわからなくなってくる。決して妥協じゃあない。あったとしても譲歩だ。
実際譲歩もせずに「お、ええんじゃない?ワシやるやんけww」と思ったものの、いざブログに貼りつけてみたらこのざま。
しかし、今回に関しては編集し、保存することなく終了してしまったという事件がすべての写真に起きてしまったので仕方がない。言い訳に余念のない私です。
スカイツリーと桜はの組み合わせはぱっと見美しく見えるから簡単だと思っていたが、スカイツリーと木を並べてしまうと美しさが半減してしまう。強く、優しく、美しく。
スカイツリーより、提灯と桜の方が映え易く、撮影し易い。
そいえば一昨年は隅田さくら祭りの夜の提灯と桜の写真を撮影した気が・・・見たい方は是非PIXTAよりどうぞ!(セルフダイレクトマーケティング)
私は物心ついたころから所謂「絶叫物アトラクション」が大変苦手だった。
精神的被虐趣味の乗り物、と言うくらい毛嫌いしている。
花やしきと言えば、私の絶叫物苦手意識をより強くした場所だ。
場所なのだが、夢の国島より夢の国海より、なぜか気に入っている。年間パスポートがあれば間違いなく購入しているだろう。
そんな好きな場所が背景に移った桜の写真だが、やはり「暗すぎる」の一言に尽きる。
精進せねば。
出来の可否はともかく、花やしきがこんなに近くにあり、四季を感じる写真を撮影できるなんて、幸せ。