二週連続で更新して調子に乗ってたら、コレ。
まぁ煩悩のままなブログだから、仕方ない。
目標は毎週、もしくは隔週更新だが、標は目標であって、実現したら目標ではなくなる。
私は目標に向かうために更新しなかったんだ。
Q.E.D 言い訳終了。
さて、前回は伝承園の直前で終わっていたはず。
伝承園につくと、まずお出迎えしてくれたのは「河童のクゥと夏休み」のパネル。
写真編集時に気づいたのだが、顔出しパネルの上に張り付けて再利用しているっぽい。
リサイクルにも余念がない、遠野です。
長距離徒歩の旅だったためあまり時間がなくゆっくり見れなかったが、この「佐々木喜善」さんこそが、遠野物語の内容の引き出したる人物。
振り返れば振り替える程、もう一度行きたくなる。
伝承園は皆さんご存じ「怪談のシーハナ聞かせてよ。」のロケでも来ていたので、売店には当時怪談社のお二人等の集合写真が飾ってある。来園した際は是非そちらも見てほしい。
内容が内容なだけに、不躾に撮影することが憚られたため大層枚数の少ない「おしら様」の写真。
東北独自の信仰のある神様だ。
詳細はいつも通り、ウィキを参照。
この表現が正しいのかわからないが、この部屋に立ち入った際の感想は「大迫力」に尽きる。
本当はもう少し滞在したかったのだが、徒歩の旅であるため(ry
さて、伝承園に後ろ髪を引きちぎられんとばかりに引っ張られつつ次に向かったのは河童伝説のある河童淵こと「姥童淵」
めっちゃ反射に映り込んでるじゃん・・・。
ここに住んでいる河童が下流で悪さをしたのか。
前回の記事では「よくわからない」みたいなことを書いた気がするが、きっと頭が回ってなかったのだろう。すべてはアルコールが悪い。
鬱蒼とした森林に挟まれた小さな川。
昔はもっと水深が深かったのか、はたまた時期の問題か。
尋ねてはいないが、きっと同行者からしたら「森じゃん」という感想がでるかもしれない。
しかしそれが「聖地巡礼」というもの。
アニメの舞台然り、書籍の地然り、実際に現地に到着してもその程度の物なのだ。
しかし、それでもテンションが上がってしまう。それがオタクというものなのだろう。
余談だが、最近だとドラマのロケ地を訪れることも「聖地巡礼」と言っているようだ。
本来は八十八か所巡り等、宗教上の聖地等を信者が巡礼することを「聖地巡礼」という。
アニメは性質上「ロケ地」とも言いづらかったため、オタクを「信者」に見立てて皮肉も込めて「聖地巡礼」という言葉になったのだろう。
そう考えるとロケ地巡りはそういう言葉が存在する以上「ロケ地巡り」なのでは?
遠野物語や柳田國男、佐々木喜善を知らずとも「姥捨て山」の名前を知っている人は多いのではなかろうか。
姥捨て山という名前自体は、口減らしのため年老いた親を山に捨てに行くという「民話」のようだ。
しかし寒い地域の食糧難、それも何百年も前の日本となれば実際に行われていてもおかしくないだろう。
また遠野は実際に「姥捨て」が行われていたといわれる地がある。
大変暗い過去を持ち、景色も一層寒々しい。
ただそんな暗い歴史も諸説ある。
一説では捨てられた人々は山の中で集団生活を行っていた。
またある説では、人数分の年貢を納めなければならないため、年貢を納める頃合いになると"一時的に"山に連れていき、「親が亡くなったため人数が減りました。従って年貢はこのくらいになります」という、いわば節税。というか脱税を行うためだったとか。
個人的には食糧難に対する苦肉の策で行っていてもおかしくはないと思うのと同時に、何百年も前の寒い地方の日本で、一時的な脱税で食料が足りていたのかという疑問も持ってしまう。
ただ歴史は諸説がつきもの。是非年貢回避のためであってほしい。
だって単純にこの話泣きそうになるんだもん。
「姥捨て山」は遠野では「デンデラ野」という地で行われていた。
実際にデンデラ野に向かうにあたって何より恐怖を感じたのは、上の写真にもデンジャーカラーで記されている「熊出没注意」
日暮れも近かっため、速足で後にしてしまった。
街中?街はずれ?には先ほどの姥童淵のような看板が大量に存在している。
神隠し伝説の「寒戸の婆」や、かの有名な座敷童がいたといわれる屋敷「孫左衛門の屋敷跡」等々・・・。
全て遠野物語に載っている話の舞台なので、遠野に行く際は是非遠野物語で予習をしてほしい。
倍楽しめます。
この記事で花巻の写真も紹介しようと思ったが、出来の良し悪しは別として、思った以上に文章量が多くなってしまった。
次回こそ、花巻の写真を載せるんだ。
更新日は毎週もしくは隔週が目標。
飽くまで目標なんで。伸びしろですねぇ。